2026.05.25 - 2026.06.07

鷲尾倫夫 Michio Washio
顔。エトセトラ

鷲尾倫夫 Michio Washio「顔。エトセトラ_1」

鷲尾倫夫 Michio Washio「顔。エトセトラ_2」

鷲尾倫夫 Michio Washio「顔。エトセトラ_3」

鷲尾倫夫 Michio Washio「顔。エトセトラ_4」


報道特集、テレビの映像で日雇労働者の集まる町、横浜市の一角にある寿町の存在を知った。何の準備もなく好奇心が翌朝、その町の全体が見渡せる場所に立っていた。異様な活気に無職でいる私は恥ずかしくなった。昂奪が内心に襲われながらも強い意識を持ち周辺に群れる人たちを追っていた。すると私の前に髭面の大男が立ちはだかり、デズラ(賃金)の高い仕事があると声を掛けて来た。その勢いに面食らいあとずさり、兄さんは見かけない顔だが専門は何かと聞かれ、口ごもりながらカメラマンと言ってしまいカメラを見せた。こんな所にそんな高級な仕事はないぞと私の胸を突いて去っていった。暫くするとその男は髭を落とし真新しい作業着に替え息を弾ませ戻って来た。か細い声で、済まんが田舎のオフクロに写真を送ってやりたいので写してくれないかと柔らかな笑顔を差し向けた。カメラを手にするとこの場所は良くないと歩き出し、寿の町から離れた建築現場に連れていかれ、バックの感じはどうか、ぶつぶつ言いながら色々とポーズと取るので何枚も撮らされた。前金だと言って小さく折った千円を握らされた。

写真の本質は何だと自問している最中、この日の偶然の出会いは、私の心田に貴重な種を蒔いてくれたと思い嬉しかった。私の寿町通いが始まるが、なかなか人様にカメラを差し出すことは出来ないでいた。トラブル覚悟の上でカメラを握り締め、自分が培って来た直感力を基盤に挑むしかないと決め歩きだした。当然トラブルはあったが、全身を耳にして話を聞き胸に刻み、私も私の思いを率直に伝えた。日本の高度成長を担って来た人達を仰ぎ見る心持で対峙することでしか生身の人間を捕らえられないと知得した。顔を突き合わせ、時には限りない時間を共有させてもらった。1973年から1981年、私は多くの人たちに聞きにくいことを聞き不義を重ね続けたが、私のシツコサを理解、評価してくれた。今ではこの人たちの姿はない。

【プロフィール】
1941年、東京生まれ。1960年に愛知県国立高浜海員学校修了後、東洋海運(合併後新栄船舶)に入社し、1972年まで海外航路に乗船。1973年、日本写真学園研究科卒業。1981年に創刊した写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)編集部専属カメラマンとなり、休刊まで20年間在籍。1983年より2004年まで、日本写真学園講師を務める。
受賞歴は、『伊奈信男賞特別賞』(1991年)、『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』(1996年)など。